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彼女とぼくの傾向性

 

 

曇天から雨がふりだし一気に視界のグレー度が高まった世界からこんにちは。 みなさんの今がどのようなものかはわかりませんが、 これがどなたかの目にふれるのは早くても数日後のことだからして、 なんだか未来人へ向けて綴る手紙のような心持ちになっているロマンティストな中年男子です。

先日、お久しぶりの友人と新宿の喫茶店で2時間ノンストップでおしゃべりをしてたいへん楽しかったのですが、 その「楽しい」という感情が生まれる要素としては、 他者同士が会話をすることで、その違いに気づき、 それはイコール自分に気がつくということであり、 自分に気がつくということは、あらたな自分を獲得したということであるからの「楽しい」なのかもしれないと思う。

さて、その日のミーティングでの気づきはたくさんありましたが、 もっとも「は!」としたこととしては、自分の作文傾向についてでありました。 友人である彼女とはかつてのアルバイト先の先輩後輩関係なのですが、 そうした縁だけでなく、作文中毒という性質も同じで、 会えば、書くってなんだろう? なんで書きたいのかねえ。なんてことを常々話すのですが、 その日は彼女からの「去年から日記を書き始めた」という告白からおしゃべりが展開していきまして。

へー、日記を。と思い、日記はぼくも書いてきました。ってなことを伝えつつ話を掘り下げて聞くと 彼女の日記というのはぼくのイメージする1日を終えて振り返り記すというそれとは違い、 さっきも日記を書いていたんだけど、と小さなノートをカバンから出し、 なんならここでもちょっと書いていい? と、書き出すフレキシブルなスタイル。

そうして、今日書かれた日記の内容を聞くと、それは日記というよりも言葉によるスナップ写真。 あ。と、心を動かした目の前の瞬間的光景を、忘れぬように言葉に定着させていたのでありました。

目から鱗とはこのこと。 ぼくの自分のための作文とは外側について綴ることではなく、 外側の現象をとらえる自分の内側の現象、心象風景のようなものばかりで、 そうした傾向になんの疑問ももつことはなく、 よってそこにオリジナリティ、個性のようなものをみることもまったくなかったのですが、 まるで方向性の異なる彼女の作文事情を知り、 自分にとって当たり前も当たり前のことが自分の特性ということなのだなあ、と感じ入りました。

人は鏡といいますが、鏡はそのものをそっくりそのまま映すようでいて実は反転した自分を映すように、 他者との違いを知ることで、逆説的に自分を知られることが「人は鏡」なのかもしれません。

そんな風に人や風景をとらえてみると、 違っていても似ていてもどちらにせよ自分を教えてくれる世界とは、 おしつけがましくない教師みたいだと思うのですが、いかがでしょうか?

以上。彼女をマネて目の前の光景を言語化してみようかと思ったけれど ひとつも言葉が浮かばないスーパー内向き人間のよもやま話にお付き合いいただきありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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