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Back to the 思春期

 

 

この間、満月に友人と近所の川べりに座り、 スーパーで買ったパックの焼きそばやら焼き鳥やらを缶ビールとともにいただきまして。 まるでティーンのような行動だなー、と思いつつ、 だとすると、ぼくの中にいまだティーンは健在なのだな、と思うほどにとても楽しい時間となりました。

もしかすると人間とは、実年齢というものとは別に、 自分の中にさまざまな年代の自分みたいなものが存在しているのかもしれません。

実年齢に近い自分は、年齢相応のそれらしいふるまいをすることで満たされそうですが、 たとえばティーン、幼少期の自分がもしもいるとするならば、 それを満たすことは、はじめは意識的に行わないとなかなかに難しいことなのかもしれませんよね。

また、理性的な自分と感情的な自分のどちらがエネルギッシュかを考えると、 やはり、感情的な自分が、火事場の馬鹿力じゃないけれど、 自分でも想像できないような力を発揮することがあるように思え、よりエネルギッシュな気がします。

子供の自分と大人の自分についてイメージするに、 子供の自分が感情的で、大人の自分が理性的な感じが個人的にはしていて となると、子供の自分はそうとうエネルギッシュなわけですから、 子供の自分を意識し、満たすことは、眠る財宝を掘り起こす。みたいなことかなー、と思う。

なにも根拠はないこんな話についてきていただいていると信じて話をつづけますが。

たとえば、学生時代の友だちに久しぶりに会って、 わー、ぜんぜん変わらないねー。あなたも変わらないじゃない。なんか昔に戻っちゃうね。 ってなひとときというのは、ほんとに昔の自分に戻っちゃっているのかもしれません。 ティーンの自分が起きだしてきての、つかのまティーンがえり!

そんな時間を経ると、 ふと、あの頃に好きだった音楽を思い出したりしてyoutubeで聴いてみたりすると、 あ、なんかこの感じ懐かしい! この切なさとか、心もとなさとかあったあった! ってな具合にあの頃の感性がよみがえったりしますよね。

そんな風にして、自分の中に眠るさまざまな時代の自分とつながることが 自分をエネルギッシュにする、最大のアンチエイジングなのではなかろうか。 と思うのですが、いかがでしょうか?

ちなみにぼくが思春期にひそかに聴いていて、今もときどき聴いては顔を赤らめているのは くま井ゆう子という歌手の「mabataki」というアルバムでございます。

18歳になりました。毎日少し変わってます。誰かに伝えきれないことがなぜだかこんなにも悲しい。 (とり残された想い)

以上。本日も現実離れ気味のつぶやきにお付き合いくださりありがとうございました!
P.S. なんだかニキビができそう。
ニュー男子 拝

 

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