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もっとも楽なのは調和的であることなのでは?

 

 

ここ10日ほどの間に、女の友だちから同じようなテーマの話をいくつか聞きまして。 それは、一言で表すならば「男性との対立」というもの。

たとえば会話での対立と聞くと”言い争う”ようなイメージを抱くかもしれませんが ぼくの今日使っている「対立」は、そこまであからさまなものではなく、 表面的には何も問題がないように見えるけれど 内面的な、言葉未満の状態としての対立なのであります。

って、わかりにくいですよね。 具体的な事例を書いて、という声が時空をこえて聞こえてきた気がします……。

ええと、たとえば。 子どもが二人いる50代の女性と話をしていたところ、 わたしたちの夫婦には会話がない。という話になり。 話をしようにも旦那がそれを聞こうともしない、 ただ聞いてくれたら気がすむのにそれがないからモヤモヤがたまる、と。 しかし、その会話レスな関係の根底には 自分が男と張り合おうとしてしまう、もしくは男に勝とうとしてしまう、 その心のあり方が、旦那であるところの「男」と望む関係を築けない所以かもしれない。 と、話が展開していきまして。

これを読んでいる方がどのような年齢、性別なのかはわかりませんが、 女性でしたら、その男への対抗心のような感覚が多少なりともわかる方も多いのではないでしょうか。 男性でしたら、その女からの圧力のようなものを日頃感じている方も多いかもしれません。

カップルでも夫婦でも友達でも仕事相手でも、 関わる人との間で起きることというのは、 もしかすると、ざっくり言うと3つのパターンしかないのかもしれません。

対立か、調和か、服従(支配)か。

と考えてみますと対立とは、服従未満の状態とも言えるのかなと思います。 対立の末に、勝利すれば相手より上にたち支配でき、敗北すれば服従となる。

そうしたどちらかの服従(支配)状態は、 勝者にとっては都合が良く、敗者には息苦しい関係ということかもしれません。 とどのつまり、対立は、どちらに転んでもその間柄にとって快適ではない、ということが言えましょう。

となると(答えをひとつにリードし壺を売りつけそうな展開で恐縮ですが)、 まず自分が快適で、関わる人も快適になる状態というのは、「調和」しかないのかな、とぼくは思うのです。

いやいや、相手を従わせてこそ快適だよ。という方もいるかもしれませんし、 相手に服従することが幸せ。という方だっているかと思います。 結果的に「快」であるならばもちろん何も言うことはありませんが、 相手も同じように快適でないのならば、その関係は永続的ではないのかもしれません(永続的が良いかはひとまず)。

ということで、ゴニョゴニョなにを書いているかといいますと、 誰かとの間が心地よくないことがストレスになっている人がありましたら、 その人との時間での自分のあり方をまずは見つめ、 調和的であろうと心掛けてみることをおすすめしたいな、と思いまして。

でも調和的ってどうやって? という話ですが、 電化製品の省エネモードのボタンを押すように、 「調和的で在る」という意識のスイッチを入れたらいいのかな、と思います。 (意識というのは現象の出発点)

そのある種の自己暗示スイッチは、 深呼吸をすることでも 目を一瞬とじることでも 胸に手をあてることでもなんでもよいのでしょうが、 身体と連動させたアクションをともなうものだと、モードの切り替えがしやすいかもしれませんよね。

長くなってしましましたが、 人間関係において自分ができることは「自分のあり方を決めること!」 ただそれだけかもしれないなーと思い、書かせていただいた次第。

本日もずいぶんと偏った意見に耳をかたむけていただき、ありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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