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タブーを減らす

 

 

いろんな友だちやら知り合いやらがいますが とくに付き合いやすい人というのは、 これを言ったらダメということの少ない人かもしれない。

しかし、友だちと知り合いの境界線ってどこにあるのでしょう。 そうして「友だち」「知人」などと言葉が分かれていると、 それを使う私たちの頭なのか心なのかの中にも 人に対して「親友」「友だち」「知人」などと線引きをはじめませんか? ってな”言葉問題”が今日書きたいことではありませんで。 そう、今日のテーマは”タブー”についてでございます。

タブーというと即座に、なにか反社会的なことを想像してしまうぼくにおいて タブー的なものは、 イコール社会的なことに反することが多い、ということなのかもしれません。 という風に、タブーという言葉により連想することこそが その人がもつタブーの在りか、ということもありましょうが、 タブーすぎるあまり、簡単には頭にも心にも浮かばないものこそが 本当の意味でのタブーということもあるのでしょう。

そもそもタブーというのは何か、ということを思う方もいるかもしれません。 正確な、辞書的な意味は辞書などで調べてもらうとして ぼくがここに書いている「タブー」とは ふれてほしくないこと、もの、概念、というようなことであります。 禁句とか、テレビドラマ的な表現だと地雷、とかのようなことです。

ちなみにぼくのかつての代表的なタブーは、 「どういう女子が好きなの? タイプは?」というものでした。

それを聞かれると頑張って平静を装うもおそらく 耳などは赤くなり、額や脇に汗がふきでていたと思います。 そのように身体的反応が出ることこそが、 その質問への答えのように思えてさらにこわばり いっそう体にシグナルが出ていたと思われます。

しかし、タブーが一生タブーであるかというと、そうではないわけで。 20歳をとうに過ぎても童貞だったこともぼくのタブーでしたが、 ゲイであることを受け入れ、セックスをおぼえてしまってからは 性の話に赤面することもなくなりました。 つまりは、そのエリアにあったタブー、消失。

タブーがあると、タブーにふれてくる人やふれそうな人を 嫌いとか苦手とかいう言葉を自分に使い、避けるようになるように思います。 それはけれど、本質的には好みや得手不得手の問題ではなく、 たんなる自分の「恐れ」の力によるものかもしれません。

その「恐れ」は、相手や環境を変えたところでこの世から消えてなくなることはなく、 消えてなくすためには、自分がそれを認め、受け入れることしかないのではないでしょうか。

また、経験上、タブーを減らすことは生きやすくなるだけでなく 世界を広げてくれることにつながるのだとも思うのです。 (苦手な人が苦手じゃなくなったり。できなかった話を堂々とできたり)

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そんなわけで、ぼくは日々、 自分がこの世で生きやすくなるため、自分のために(!) 己にひそむタブーの発見にいそしみ、 見つけたらそれを手放すことに注力しています。

もぐらたたきゲームのような気分で 自分のタブーを叩きつぶしてみることをそんなわけでオススメしますが、 タブーをあえて楽しむ(なんかエロい)というのもまた、 とても面白いことなのかもしれません。

今日も最後まで、ご清聴ありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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