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阿川佐和子さん結婚おめでとう! ニュー男子より

 

 

いわゆる”スピリチュアル”が大好きなのですが、 そうした界隈では「比べる」「比較」などについて それをするから苦しみが生まれる、というような言説がよく述べられているように感じます。

たしかに、自分自身の心の動きを観察するに、 たとえば自分が自宅にいて穏やかな状態にあるところからザワザワと波打つ状態に変化をするきっかけとなることのひとつに、 他人の動向をしり、自分の現状と比較したことが一因と気がつく日があります。

インスタグラムやらフェイスブックやら、インターネットなどを通して、 パソコンを前にしながら友人らの楽しそうな様子を知り、 ああ、彼はこんなことを経験しているのか、すごいな。それにひきかえ自分は何をしているのだろう? などと自己否定の渦が生じ、 娯楽として開始したはずのSNS鑑賞にダメージをくらうというように……。

だからして「比較」が苦しみの根源という説には、おおいにうなずいてきたのですが、しかし、 不必要とも思える”苦しみメーカー”がどうして存在するのだろうか? という気持ちもあって。

話はいったん飛びますが、先ほどまで録画してあったテレビのトーク番組で、 星野源さんの生い立ちなどを阿川佐和子さんの問いかけによるご本人の答えから入手していて、 へー、とか、ふーん、とか、なるほど、とか、いろいろと面白かったのですが、 番組を見終わり、ふと、比べるという機能についての明るい側面に気がつきました。

比べる、比較は、それをした際に相手と自分のどちらが優れているのかを判断するという使われ方をすると、 下されたジャッジがどうあれネガティブな行為となるわけで。 自分と相手の違いを知るために行われる純粋な比較は、ネガティブではないのでしょう。

宇宙の起源をぼくは知りませんが、 絶対無であるサムシングが、自分とは何かを知るために分裂し、 ”自分ではない自分(自分が二つに分かれたとしたら、どちらも自分という意味)”を得ることが、 自分とは何か? の答えとなるのだ。ということが宇宙の出発点。 ってなことをどこかで目、耳にしたことがありまして。

その説の真偽はひとまず、 誰かを知ることで、 「みんなやってると思ってたけど実はべつにこれは一般的じゃないのかもなー」などと、 自分の環境やら性格やら得手不得手などに気がつけるのだとしたら、 誰かと自分を比べる働きは、本能的で大切なものなのかもしれません。

自分と他人はそもそも違うわけで、 比べて、浮き彫りになった違いの意味は「私とあなたは違う」。 ただのそれだけなのでしょう。

そこに勝ち負け、優劣をつけだすことをしなければ、 ”比べる”とは、自分や他人の個性を知るすばらしい道具なのかもしれませんね。

追伸。
阿川佐和子って、人から話を聞き出すことが本当に上手だなあ。 と規模は違えど著名人に話を聞くことでお金をもらっているぼくは、 『サワコの朝』を見るといつもどこかが反省モードになるのであります。汝、サワコと比べることなかれ!
ニュー男子 拝

 

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