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数字にしばられて私

 

 

SMという意味では、 つねに、SとMはともにあるのだと思うと、 わたしはSですともMですとも言い難い。 そんなことを思うのですよ。

だって、それをしているのは私で、 それをさせているのも私なのですから。 あるじはいつだって私。

もしも、それをするのは嫌なんだけどお金のためにしているんだ。 ということならば、その場合のS、ご主人様はお金ということになるのかなと思います。

カレシ、カノジョの求めに応じて仕方なしにそれをしているならば、カレシやカノジョがご主人様。 家族が、時間が、環境が、時代が、性別が、それをさせるならば、 それらがご主人様となるわけだと思うのです。

なにかしらの条件が自分の人生を左右することに不自由を感じるのならば、 いったんその条件をあるじの座からおろし、 自分の人生の主人公はこの私なのだ、という認識を与え、 再度、本当はどうしたいのかという問いかけを自身にしてみることが 自らの人生の舵取りをするということなのかもしれません。

さて、なにをいきなりSだのMだの書くことになったのかというと、 「数字にしばられて私」というタイトルが浮かんだことに原因があります。

”しばられて”から、SMという言葉が浮かびツラツラ書いてしまいましたが、 実は、 きのう夜中の3時頃に寝たのに6時前に目が覚め、 時間を確認すると即座に「3時間しか寝てない。もう一度寝よう」と思うも 体が充分に休めたようで眠れず、起床。

そうして起きてみて、もしもこの世に時計がなかったらパキっと目が覚めたら 「寝足りない」などと思うことはないにちがいない。 自分はなんて数字にしばられて生きているのだろう。 という自戒のようなことを書きたかったのであります。

けれどこれが言葉の、作文の面白いところで、 点滅する光のようにパッ、パッと浮かぶ言葉を打ちだしていくと、 自分が書こうと目的したものとまるで違う場所にたどりついたりするのですよね。 って、また数字の話から脱線している!

いちおうこの雑記ではオチというか、 なんらかの結論めいたことは書きたいなと思っているので 無理やりにまとめてみますと、

自分が望む人生を歩むためには、 自分が主人公なのだ、という意識を自身にすりこむことが大事なのかなと思います。 それは言い換えると”自分の人生の責任をもつ”ということなのかもしれません。

責任。と聞くとぼくは逃げたい性分ですが、 たとえ誰かの言うことを100%忠実に聞いたとしても、 その人が病気やケガの肩代わりしてくれることも、ましてや死んでくれることなどなく、 最終的に現実、現象を引き受けるのはどうあがいても自分なのだとすると、 自分の責任で生きることを自覚したほうが自然だし、 いってみれば断然お得かなと思うのですが、いかがでしょうか?

本日はロードムービー的雑記にお付き合いくださり誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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