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新ドラマ「やすらぎの郷」で老人ブーム到来!それはインスピレーション

 

 

最近、自分が発している言葉や書く文章(日記とか)に 「インスピレーション」というワードが よく使われていることに気がつきまして。

なぜそこに行きたいの? インスピレーションかな。
どっちにする? インスピレーションでこっち!
この話をどう思う? インスピレーションなんだけど、こう思った。

などなど、 インスピレーションという単語が嫌いな人にとっては そうとうウザい、イタい人がこのごろの私なのでございます。

そのようにインスピレーションを頻出させながらも それがなにかを熟知しているのかといえば そのようなことはありませんで。 そうした態度を俗にインチキというのかもしれませんね。すみません。

ただ、たとえば、「痛い」という言葉も、 そもそも共通の痛さなどはないのでしょうから どのような現象を「痛い」というかはその人次第、その人の自由なわけで。

そもそも、 ぼくの言う「痛い」を相手が同じ「痛い」と受け取れるとは言い難く さらに、その言葉をどのように受け取ったかを確かめる術はない。

チクチク、ジンジン、ピリピリ、ヒリヒリ、ガンガン、などと 「痛み」を違う言葉で表すこともできましょうが、 どんなに言葉を尽くしても、 言葉はその「痛み」とイコールになることはないのですよね。

言葉とは、だから、たいへん便利なものである一方で 言葉を使い表現することにより、 本質から遠ざかる可能性もはらむ なんだか厄介なものともいえるかもしれません。

ってな言い訳のような前置きはさておき。

インスピレーションがおりてくるか否かは、 その人の資質的なことも関係しているのかもしれませんが、 なによりも自分がそれを「インスピレーション」として 受け取るか否かの問題なのかもしれない、と思うのであります。

つまりはぼくが「インスピレーション」と称しているものを 誰かは「思いこみ」「胸騒ぎ」「思いつき」「なんとなく」 などという言葉をあてがい表現するのかもしれない、ということ。

そんなわけで、種明かし的にいいますと、 ぼくは閃きやインスピレーションという言葉を好きがゆえ、 そうした現象にその言葉をあてがうことが多く、 それが自分をインスピレーションフルだ、と思い込ませている。 ただそれだけの話なのでありました。

でも。だって。
自分が使う自分の言葉なのですもの、 自分が心地よいものを使えばいいのではないでしょうか? みなさんはいかが思いますか?

本日も最後までご清聴いただき、ありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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