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それぞれの宇宙

 

 

昨日。テレビにて小沢健二をみたわけですが (知らない人はご検索ください。これを機に歌をきいてほしい) なんといいましょうか、ひさしぶりに テレビを前にワクワクそれを待つ。 という懐かしい時間を味わった気がしました。

小沢健二というアーティストは それはもう本当にすばらしくて 歌詞も曲もアレンジもファッションも思想みたいなものも 声も歌声も髪型も交友関係みたいなものも なにからなにまで好き。 というそれを憧れというのであれば 人生で初めて本気で憧れた、正真正銘のマイアイドル! それがぼくの小沢健二なのであります。

さて。 そんなわけで勝手にちょっと緊張しながら見始めた Mステことミュージックステーションは、 彼が後方でほかの演者の話を聞く姿さえ貴重で フォーカスはつねに小沢健二にあってしまうそれはまるで身内感覚。

20年前も今もこのファン心理のようなものは 変わらないものだなーと思うも、 大きく変わったと感じたことがひとつありました。

昨夜のぼくは、 あの頃と同じように食い入るように見ながらもあの頃と違い 小沢健二から何かを吸収しよう、得ようなどといった意識が みじんも働かなかったのでありました。

それは、自分が確立されたということなのか 感受性が硬化し、いつかのように感じとれないだけなのか、 その意味は自分で決めるしかないので 「自己の確立のあらわれ!」と受け止めたことはさておき。 じつは、今日の書きたいことは別にありまして。

今朝、高校の友人から、 「見た?」「服装が変わってなかった。太ってなかった!」と 昨夜の小沢健二についてのそれだけが書かれたLINEがあったのですが

服装が変わっていない 太っていない

その2点にぼくはまったく共感できなかったのですよね。 というよりも、

あー、洋服があんまりかわいくないな、 外国暮らしが長いらしいし ファッション以上に重要なことがありすぎて あんまりそういうことが気にならない人になったのかな 今日の洋服はまるでふつうの人みたいだ、 デニムの色とか靴の色とのバランスとか メガネもシャツの雰囲気も なんか、中年なのだな 昔のVTRを流されると 今との雰囲気の違いがくっきりするわー あの頃はやっぱりオザケンって芸能人だったんだな きょうのこの方は、小沢健二さんって音楽家で ぜんぜんしらないけどこの20年の間に いろいろなことを見て考えたような顔をしていらっしゃる 生き方が顔にでるってのは本当なのだろう、 だって、こんなにも変わってしまった でも、笑い方というかおどけ方はあの頃のままだ 小沢健二がこのような年の重ね方をするなんて想像もしなかったなー でも、ひと節で心がつかまれるこの歌詞! 超テレビなこの番組で、いま彼が歌うことが本当にありがたい、すばらしい

などと、まずはその見た目の変化に驚いた私でしたから。

たしかにぼくたちは同じ小沢健二という人を見たのかもしれませんが なにをもってわれわれは「同じ」としているのでしょうか。 だって、こんなにも違うものをそこに見たのですもの。

人という生き物はもしかすると なにをも自分の見たいようにしか見ることはなく、 生まれてから死ぬまで本当には誰ともなにも共有できないのかもしれない。 そう、みな、それぞれがそれぞれの宇宙に生きている!

本日も最後までご清聴いただきありがとうございました。 ニュー男子 拝

 

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