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ドラマ『カルテット』的、気遣いのありかた

 

 

この秋、お酒を飲みつつおしゃべりをする機会にめぐまれた とある編集者が言った言葉がときどきふとぼくの心にわきあがってきて そのたびにいい気分になるので今日はそれを書いてみようと思います。 その人とは、記者の仕事について自分なりに思うことを話していました。

現役バリバリ記者時代は、どこか根拠のない自信のようなものがあり 自分はそれなりに仕事ができるんじゃないか、と図々しく思っていたのですが 今振り返るとそれは恥ずかしい誤解で 自分はただ、とても恵まれた環境を与えてもらっていただけで 記者としてたいした能力もなく、努力もしていなかったのだと反省のようなものをしているのですが。

そのような話にたいして編集女史は 「その現場をよくしようと気を遣っていたらそれは立派に仕事をしているってことですよ」 と言うのでした。

まず、 そのように仕事というものを捉え、 人のすることを評価できるその人がすばらしいのは言うまでもありませんが なるほど、たしかにその言葉に真実があるかもしれません。

気遣いというものには二方向あると思うのです。 一方は自分に対しての気遣い。 これを「気遣い」とは言わないのかもしれませんが 自分がどう思われるかという自己評価のために自分がすべきことを考える方向性です。 他方は、その現場にとって良きことに対して行う気遣い。 この方向性にはみなと隔離された「自分」という感覚がなく 自分をふくめた「みんな」という意識があるのだと思います。

その場でのあり方として「私」ではなく「みんな」という意識をもつことができれば 仕事をする者としては対価をもらうに値する。 そうしたことをその編集者は言ってくれたのだだとぼくは思いました。

この心の方向性のあり方は、べつに仕事に限ったことではなく たとえば恋愛においても実はとても重要なことなのだと思う。 「ぼくが楽しい」ではなく「ぼくたちが楽しい」という姿勢こそが 恋愛関係を円滑にさせるに必須なのではないかな、と。

その際に意外と盲点なのは「ぼくたち」というWEの感覚。 なぜなら「あなた」だけが喜び楽しいためのそれは自己犠牲であり その犠牲精神は必ずや見返りを必要とし、 十分な見返りがもらえないと感じた際は相手への怒りと変化していく思うから。

仕事でも恋愛でもあらゆる人間関係の場は どのような視点、方向性でそれを行うのか、という あり方こそが重要なのかなと思うのですが、みなさんいかが思いますか??

 

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