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スピリチュアル百景

 

 

スピリチュアルという言葉や概念のようなものが 近年、ひろく知られるようになってきましたが かくいうわたしも、大のスピリチュアル好きであります。

記者時代には取材を通して、 退行催眠療法士、陰陽師、オーラを絵に描くスピリチュアルカウンセラー、タロット占い師、風水師など、 さまざまな人にお会いしお話を聞く機会がありました。

その頃のわたしは、どこか半信半疑というか、 頭では信じているつもりになっているけれど、深い部分では夢物語のように思っている節があり、 いただいたアドバイスや方法なども、 取材が終わりしばらくするとパタリとやらなくなったりしていました。

けれど、スピリチュアルというか精神世界というか、 そうしたものへの興味は失せず、 取材以外でも個人的に本を読んだりセミナーに参加したり 個人セッションを受けるなど、これまでずいぶん時間とお金を投じることとなりました。

というか、そもそも、スピリチュアルというのは何なのか、という話をしないとですね。 「スピリチュアルとは?」という正確な答えのようなものは、まあネットで調べていただくとして、 個人的にはそれを、ざっくり表すと「五感で感じられない世界」のようなものだと思っていまして。 その”目に見えないさわれない聞こえない世界”が存在していることを受け入れ、 五感外からもたらされる情報や法則を”五感のこの世界”にいかすことがスピリチュアルに生きることかな、と思うのです。

赤だの紫だのといった風にぼくにはオーラは見えませんが、 自分に見えないからそれは無い。嘘だ。という風に結論づけるのではなく、 今の自分には見えないけれどそれが見える人もいて、その色や形の意味を知る人もいる。 という立場にたつことが、スピリチュアルな姿勢なのかな、と思う。

さて。 なにが書きたかったかというと、 その、ぼくのスピリチュアル観からいうと、

たとえば、

遅れて参加することになった飲み会は個室に入るなり、会の雰囲気の悪さに気がつく。

ということも、目に見えない空気をキャッチし、 そのキャッチした感覚を信じるという意味ではスピリチュアルな姿勢になるということ。

なもので、
好きだ、嫌いだ、嘘だ、ほんとだ、と「スピリチュアル」と聞くといろいろな評価が出てきましょうが、 そもそも人は目に見えないものや聞こえない音などを「感じる」生き物であり、 誰しもみなスピリチュアルなのではないか、と思うのですよ。

自分の能力のようなものをそのような視点で捉え、 「飲み会の空気が重たい」を感じる感覚で、 人や物や場所などなどに対して自分なりに感じてみること、 感じていることに耳をすますことで、 世界というのは、おもしろく広がっていくと思いませんか? という、 なんともスピリチュアルな生き方のご提案でございました。 ご清聴ありがとうございました!

 

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