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いろんなチャンネルをもつ私

 

 

テレビを見ることがぼくは好きなのですが、 近年テレビを見る時間が減っているのを感じます。 それは、 テレビを見ている時間がもったいない! テレビを見ている時間をもっと有意義に使いたい! ってな、なんというか意識高い系の発想ではありませんで。

ただ、 テレビを見ていて「面白くないなあ」と思っていることが多いため、 自然的にテレビ視聴時間が減っているのだと思います。

そんな「テレビについて」が今日書きたいことではないのですよ、なんと。

テレビにさまざまなチャンネルがあり チャンネルを変えるとその四角い箱から流れてくる 音声と映像によるメッセージの種類がまったく変わるように ぼくたち人間というものにもさまざまなチャンネルがあるのでは? ということを言ってみたいのです。

つい今しがた、 数ヶ月ぶりの親しい友だちとスカイプで小一時間ほどおしゃべりをして大いに笑ったのですが、 彼女の話すことに笑うことはもちろん 自分から出てきた言葉や発想にも笑っていて。

いちばん笑ったのがあるテレビドラマについて 二人ともが「気持ちが悪い」という感想を抱いていたことがわかり、 その気持ち悪さについて互いの口から出てきたフレーズや視点でした。

彼女と話をするまでは そのドラマについて誰かと話したことは一度もなく 誰かと話したいと思ったことすらなかったから不思議なものです。

たまたま友だちがそのドラマを話題にあげ、 彼女が感じたことを聞くうち、 自分もそのドラマについて同じような印象をもっていたことに気づき スルスルと毒のある感想をぼくも喋っていたわけで。

その「毒っ気のある自分」というものももちろんぼくなのだけど、 自分一人でいる時間には奥底に眠っていて、言語化未満状態。 それが同じような「毒っ気」を言葉にしてあらわした友だちにより あ、そうそう! ってな感じにその回路がひらき、毒っ気満点のぼくが飛び出した。

そんな風に、 誰かや何かをきっかけに今まで表現されることのなかった自分が引き出されるのだとしたら その場における自分というのは、ぼくと彼女の間にあらわれる自分という意味で ふたりで作り上げた「共作の私=私たち」と言えなくはないでしょうか。

それって別の見方をすると 関わる人によって無限のバリエーションであらわれる「私」という生き物は 無限のチャンネルをもつ存在なのだということ。

あの人が嫌いとかあの人が好き。などという感情のようなものも ”あの人と作り上げる自分”を好きや嫌いということになるのかもしれません。 だとしたら、自分の好きな自分を引き出してくれる人と付き合うことを意識すれば日々がハッピーになるのでは?? と。うっかりずいぶん不思議な結論になってしまいましたが、ついてきていただけましたか……?

この突飛な考えの真偽はともあれ、 そのように人間関係をとらえることが、 人付き合いの指針の一つになるかもしれないなー、と思いここに記させていただきました。 最後までお付き合いいただきありがとうございました!

 

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