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情報は少なく

 

 

こんにちは。 雨降りの月曜日のこちらです。 今日こそは、コラムを書くぞ、と決めていて、 重たい腰をあげ、机とパソコンに向かってこれを書いています。

さっきまで、 ひとくちに「記者」といっても、内容はいろいろで、 たとえば、張り込みをしてスクープを狙う記者もいれば、 料理のレシピをまとめる記者もいるし、 読者からの投稿をチェックし、面白いものを選ぶ記者もいて。 なんてことを、書こうとトライしていましたが、 今の関心事項じゃないことというのは、熱量が低くなってしまうものなのでしょうか、 どうにも書きたいことがまとまらず。

そこで、ふと思いついた 「昔の手帳をひらき、そのページにあったことをタイトルにして書く」 というアイディアにトライしてみようと思います。

ええと、ひらいたページは、2008年の9月は1週目。 そこには予定が1mmも書かれておらず、手帳の意味を無視して日記がつらつら書かれておりました。 そこで目にとびこんできたのがタイトルである「情報は少なく」というフレーズ。

当時の日記によると、 ある方の本をブックオフでパっとひらいたら「情報は少なく」と書いてあったとのこと。 日記にはつづけて、 その日2つの会合に誘われどちらも断ったが 未知のものを拒むその姿勢は果たして良かったのだろうか、とモヤモヤしていたときに 「情報を少なく」のメッセージは、自分の決断を「これでいいのだ」と思わせてくれた。 と書かれていた。

情報が電話付きパソコン(スマホ)で、片手でいつでもとりだせる便利なこの時代は ともすると、情報過多になってしまいがちなのは、誰しもが思うことではないかと想像します。 それは、たいへんけっこうなことだと思いますが たとえば、脳が1日にさばける情報量が決まっていたとしたら 四六時中あたらしい情報をインプットし続けた場合、はたしてそれを処理できるのだろうか。とも思うのです。

もしかすると 内臓が食物を消化するために時間を要するように ときには、情報入力を意図的にストップして、入れた情報を自分の血肉にするべく、 空白の時間をもつことも必要なんじゃないでしょうか?

そんなわけで、このコラムをたまたま目にしたのもなにかの縁ととらえ 今日は意識的に情報を少なくしてみるのもおもしろいかもしれませんよ。 という地味なご提案にて、今日は終わりにさせていただきます。 ご清聴ありがとうございました!

 

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