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記者のはじまり

 

 

人生迷子状態やりたいことのわからぬ若者だったぼくですが 宇宙からのありがたいはからいにより25歳のときに 女性週刊誌の記者というものになりました。 記者というからには、記す、つまり書くことが仕事なわけですが もちろん、それ以外にもやることはたくさんあります。

たとえば、ぼくの属した編集部では 毎週一度、企画を出し合うプラン会議というものがあり、 そこで自分が考えたプランを書面にし、スタッフの前でプレゼンしなくてはなりません。

とはいえ、「なりません」などと書いてみたものの、 それまで多くの時間をテレビを見てはさまざまな妄想をしてきたぼくにとって 雑誌上でできる面白そうなことを考えるこの作業は、 ほとんど仕事といえない愉快なことでした。

ちなみに、最初の会議でどんなプランをだしたのかほとんど忘れましたが ただひとつ、長らく好きだった清水ミチコに会いたいがために 清水ミチコさんが雑誌上で何かをする、という企画を発表したことは覚えています。

そのときは、”企画としてぬるい”というようなジャッジがなされ、 残念ながら企画は通りませんでしたが 「清水ミチコに会う」ことがぼくの夢となり、 「清水ミチコに会うまではこの仕事をつづける」ことが 仕事をつづけていく自分のタガのようなものとなりました。

これまで無計画、無目的に生きてきた自分にとって もしかすると、これが人生で初めて 自分と約束を交わした瞬間だったかもしれません。

そんな風に、ぼくは、 人間として欠けていたなにかを、 仕事によって埋めてもらうようなことがたくさんありました。

そんなわけで、 仕事のために生きることが辛い人がもしもいらしたら、 「仕事」「プライベート」などと日々の時間を区切るのではなく 公私ともどもぜんぶが自分の時間、自分の人生なのだ、と考えてみては? と思います。

それは「実は、どんな瞬間も自分の人生なのだ」ということです。 そのような視点をもって生きてみると、何かがすこしずつ変わるのかもしれませんよ。 と、自宅居間にて猫を膝に乗せながら公私混同型のぼくは土曜の午後に思うのでした。

 

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